第115話「ポジティブな負荷」 診断から3年10ヶ月 2026年5月22日
数日前に、今までしたことがないチャレンジをする機会がありました。
健康な人で度胸がある人にとっては、何ともないことだとは思いますが、例えば、人前でマイクを使って話すことが苦手な私にとっては、少し緊張するチャレンジでした。
そのチャレンジ自体は、それなりに楽しみながら過ごせていました。ただ、そのイベントスペースの空間は少し暑く、私にとっては快適とは言えない環境でした。
この数日は、少し体調がイマイチだったことも影響していたのか、色々な負荷が重なって、思っていた以上に消耗していたみたいでした。
帰宅してベッドへ入る頃には、いわゆるコルチゾール不足の症状が出ていました。
とりあえず2.5mgを頓服して様子を見ましたが、いまひとつ戻りが悪く、もう少し調整した方がいいかも?と夫と話していた記憶を最後に「寝落ち」してしまったみたいです。
翌朝起きると、かなり強い体調不良でした。やはり2.5mgでは足りなかったみたいでした。
経絡治療の日だったので、予定通り施術を受けました。いつもなら時間と共に楽になるのですが、その日はどうしても体調が戻りませんでした。
それでも、ギリギリ「過ごせるか、過ごせないか」のラインにはいて、なんとか耐えていたのですが、夕方になり、コルチゾールが下がってくる時間帯になると、症状がさらに強くなっていきました。
「これはもう、夜は越せないかもしれない」
そう判断して、16時頃に、いつもより多めの5mgを頓服しました。
服薬まで時間をかけてしまった分のダメージは残りましたが、耐えられないような不調からは、なんとか抜け出すことができました。
夜もそれなりに眠ることができ、翌朝にはある程度回復したものの、まだ「お出かけしたい」と思えるコンディションではありませんでした。
見えない「後払い」
副腎皮質機能低下症は、「その場で倒れるかどうか」だけではなく、「後から反動が来る」「見えないコストがある」という部分が、周囲にはかなり伝わりにくい病気だと思っています。
周囲から見えているのは、「イベント中の私の姿」だけなので、「普通に元気そうだった」「思ったより動けていた」という印象だけが残りやすいと思います。
でも実際には、その裏で、前日の調整をして、当日の配分を考えて、帰宅後の回復を見越して、翌日のリカバリーまで含めて、ようやく成立していることも多く、健康な人なら、「楽しかったね」で終わるイベントでも、こちらは「後払い」が発生することが多々あります。
ただ、この裏事情をそのまま説明すると、相手は「誘わない方がいいのかな」「負担をかけてしまった」と感じやすくて、距離ができてしまったり、次から誘われなくなってしまうこともあります。
なので、どこまで伝えるのか、どんな距離感で過ごしていくのか、そのバランスは今でもとても難しいと感じています。
ポジティブな負荷
「ストレス」というと、一般的には悪いものをイメージしやすいですが、実際には「ディストレス(つらいストレス)」だけではなく、「ユーストレス(楽しい・前向きなストレス)」という考え方もあります。
旅行やイベント、新しい挑戦、人との交流なども、楽しい反面、体にとっては負荷になることがあります。
安定している時の運動習慣で、筋力や体力をつけることで補える部分はありますし、精神的なストレス(つらいストレス)に対する耐性も、少しずつ育てていける部分があると言われています。
そう考えると、「楽しいことを楽しいと感じる負荷」、いわゆるユーストレスに対する処理容量も、少しずつ広げていけるものなのかもしれません。
もし、何もない静かな生活だけをするなら、コートリルはほとんど飲まずに過ごせるのかもしれません。でも、人生は一度きりです。楽しいことにも参加したいし、新しい経験もしたいと思っています。
そういう「ポジティブな負荷」を、少しずつうまく処理できるようにしていくことも、必要最低限の補充量で生活していくために大切なことなのかもしれないと思いました。
今回の反省点
今回の反省点は、当日の夜に5mg飲んでも良かったのかもしれない、ということでした。
ただ、眠る前の5mgは、どうしても睡眠との兼ね合いで躊躇してしまいます。
とはいえ、眠る直前にあと2.5mg足していれば、結果的にはダメージが少なかった可能性もあるのかもしれません。
あと、会食だったこともあり、その夜は糖質をほとんど摂っていませんでした。
すでに食欲が落ち気味だったことも影響していた気がします。
そして、その「食欲低下」自体も、振り返ると、そもそも無理をしていたサインだったのかもしれません。
糖質が不足していなければ、ここまでダメージにならなかった可能性もあったのかもしれません。
今回の経験は、今後の調整に活かしていきたいと思っています。
「周囲と同じようには過ごせない」という現実を、あらためて実感した数日でした。